佐賀地方の方言で米の研ぎ汁のことを「にごし」といいます。
「濁手(にごしで)」は米の研ぎ汁のように温かみのある白色の地肌をもつ素地のことで、柿右衛門窯独特のものであり、泉山陶石を中心とした特別な原料とその配合、および独自の製法により作られています。一般的な白磁がやや青味を帯びているのに対し、濁手は柔らかい乳白色を呈しており、1650年代頃に、柿右衛門の色絵が一番映える地肌を持つ素地として創りだされました。その後、この濁手素地は改良を加えられ、いわゆる「柿右衛門様式」が確立される頃には、傷や歪みなどの少ない上質のものが作られるようになります。
濁手素地と余白を十分に生かした繊細で華やかな色絵との調和のとれた美しさは、その当時国内はもとより国外においても高く評価され、その作品は1659年頃に本格化するオランダ東インド会社(VOC)の輸出により広くヨーロッパ等に紹介されていきます。
ところがこの濁手素地も、原料の入手や製作上の困難さ等により、江戸中期頃一度途絶えてしまいました。それから長い空白の後十二代柿右衛門とその子十三代柿右衛門は、柿右衛門家に伝わる江戸時代の古文書を基に長い苦労の末ようやくこれを復元し、1971年にはその製陶技術が国の重要無形文化財の総合指定を受けるに至り、再び高く評価されるようになります。
現十四代柿右衛門はその技術を受け継ぎ、阿蘇、九重等の山々に自生する野の草花などのモチーフを積極的に取り入れた新しいデザインを濁手の地肌により良く融合させることで独自の境地を切り開いております。
「濁手(にごしで)」は米の研ぎ汁のように温かみのある白色の地肌をもつ素地のことで、柿右衛門窯独特のものであり、泉山陶石を中心とした特別な原料とその配合、および独自の製法により作られています。一般的な白磁がやや青味を帯びているのに対し、濁手は柔らかい乳白色を呈しており、1650年代頃に、柿右衛門の色絵が一番映える地肌を持つ素地として創りだされました。その後、この濁手素地は改良を加えられ、いわゆる「柿右衛門様式」が確立される頃には、傷や歪みなどの少ない上質のものが作られるようになります。
濁手素地と余白を十分に生かした繊細で華やかな色絵との調和のとれた美しさは、その当時国内はもとより国外においても高く評価され、その作品は1659年頃に本格化するオランダ東インド会社(VOC)の輸出により広くヨーロッパ等に紹介されていきます。
ところがこの濁手素地も、原料の入手や製作上の困難さ等により、江戸中期頃一度途絶えてしまいました。それから長い空白の後十二代柿右衛門とその子十三代柿右衛門は、柿右衛門家に伝わる江戸時代の古文書を基に長い苦労の末ようやくこれを復元し、1971年にはその製陶技術が国の重要無形文化財の総合指定を受けるに至り、再び高く評価されるようになります。
現十四代柿右衛門はその技術を受け継ぎ、阿蘇、九重等の山々に自生する野の草花などのモチーフを積極的に取り入れた新しいデザインを濁手の地肌により良く融合させることで独自の境地を切り開いております。


濁手について
